段葛
一昨年秋から行なわれていた段葛の改修が、この三月に完了した。工事が始まったときに抱いた嫌な予感が、残念ながら的中してしまった。
石垣も、灯籠も、路面も、明るいだけで陰影に乏しい、のっぺりしたものにされてしまった。長い年月にひねこび、思い思いに枝を張って、一本一本独特の表情があった桜の木は、同じ高さ、同じ形にまっすぐ伸びる規格品に替えられた。植え替えねばならない事情もあったと聞くが、すべて植え替え、同じ形にそろえる必要まであったのだろうか。あれではプラスチックの木を並べたのと一緒だ。私は普段、こんな物言いを好まないのだが、今度ばかりはこう言わざるをえない。古都の風情が台無しだ。
改修前の段葛も、中世の姿をそのまま残していたわけではない。大正時代、それまで荒れ果てていたところに、大きな改修を加えたものだ。もしかするとそのときも私のようなひねくれ者がいて、「あんなもの」と思ったかもしれない。それから百年近くかけて古びがつき、景観に溶けこんだ段葛の歴史を、今回の改修は無にしてしまった。
今の段葛も桜の木も何十年か後にはまた古びて、違和感がなくなるのだろうか。そうだとしても、それは時間のおかげであって、改修の功績ではない。少なくとも私は、そう思っている。
(2016年5月・片岡 夏実)
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