笹舟
小学校の帰り道、見知らぬ人に呼び止められた。和服を着た、上品な年輩の婦人だった。
その女性は、国大付属のグランドの垣根に生えている笹で、笹舟の作り方を教えてくれた。その時には疑問を持たなかったが、今思えば少し妙だ。なぜ通りすがりの小学生に、そんなことを教えたのだろう。笹舟の伝道師だったのか。
私は通学の道すがら、葉っぱをむしって遊ぶようなことをする子どもだったので、笹舟作りにすぐ熱中した。笹の葉をちぎっては試作し、うまくできると八幡宮で池や側溝に浮かべた。
だが不器用な私は、細い笹の葉をうまく扱えず失敗も多かった。特に尖った葉先は。こっちは細工しなくてもいいんじゃないか。先がとんがっていたほうが速そうでかっこいい。そう思って中途半端な笹舟をしばらく作ったが、やっぱり何か物足りない。そのままでも笹の葉は浮く。わざわざ舟の形にするのは、そうすることに意味があるのかもしれない。船縁があって乗れる形をしていることに。たとえ誰も乗らなくても。
そのとき以来、誰かに笹舟の作り方を教わる機会はなかった。本で見たような気はするが、見ただけでは作ってみようという気には、たぶんならなかっただろう。伝道師は見事に使命を果たしたのだ。
(2015年7月・片岡 夏実)
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