トベラの花
昆虫や魚なら、割と知っている自信があるが、植物や鳥についてはさっぱりだ。庭木や花壇の花の名前さえ知らないことがあるし、声を聞いたり遠くにちらりと見たりしただけで、鳥の名を言い当てる人を目の前にすると、ただ驚嘆するだけだ。
たぶん子どもの頃に植物と鳥の図鑑を、小学館の学年誌の付録の付録だった簡略版で済ませていたからだろう。昆虫と魚貝はちゃんとしたものを買った。いや、話が逆かもしれない。昆虫と魚は名前を覚えるくらい興味があったからこそ、図鑑を買ったのだ。
そんな乏しい知識しかない私が、小学生の頃からなぜかトベラの木を知っていた。たしか鶴岡八幡宮の植込みにあるのを、図鑑の絵と同じだと気づいたのだ。卵形のつやつやした葉を持つ低木で、潮風に強く鎌倉ではよく見かけるが、特に目立つわけでもなく、虫が集まってもこない。どうしてそんな地味な植物を覚えたのか、自分でも不思議だ。
それから十何年かたったある初夏の夜、海沿いを歩いていると、空気がどろりとよどむほど甘い芳香が漂ってきた。見回すと植栽の木が小さな花を鈴なりにつけて、白く浮き上がっている。私はその時おそらく、初めてトベラの花を見た。そして、こんなにも強烈に香る花に今まで気づかなかった自分に、少し呆れた。
(2015年5月・片岡 夏実)
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