風景の記憶

 冬の夕暮れ、梶原の住宅地で道に迷い、同じところをぐるぐると回っていた。丘を越えてモノレールの駅まで近道しようとしたのが間違いの元だ。
 暗くなるにつれ、奇妙な感覚にとらわれた。不安感とも違う、周囲の風景が非現実的に感じられる不安定感だ。私にはたまにそういうことがある。二十代半ばの一月初めの夜の強烈な経験は今でも憶えている。いつもの道を歩いていると、突然足が浮いたように接地感を失った。そして景色が、鮮明でありながら奥行きのない、双眼鏡ごしの像のようになって、自分に迫ってきたのだ。
 今回はそれほど激しくはなかった。既視感を覚えながらいつどこで見た風景か思い出せないときに近い、むずがゆい感じだ。反対に、風景が私に既視感を覚えながら、私を思い出せずにいるのかもしれない。風景が私を思い出すことを諦めたとき、私は世界から消えてしまう、漠然とそんな気がした。小学生の頃に読んだオカルト本に載っていた、人間が突然、跡形もなく消え失せてしまう現象が頭に浮かんだ。話が本当だとすれば、消えた人たちは、風景に忘れ去られてしまったのかもしれない。
 やがて見知った道にたどりつき、あの奇妙な感覚は去った。私は消滅をまぬがれた。風景は私を思いだしたようだ。

(2015年1月・片岡 夏実)


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