名僧の書
書画骨董や古いおもちゃなどの「お宝」を鑑定するテレビ番組を見ていて、父の知人に書で知られた僧(故人)がいたことを思い出した。祖父の代からのつきあいだから、家に書があってもおかしくはない。ところが母に尋ねると「ないよ」と、にべもない答えが返ってきた。
戦時中、鶴岡八幡宮前にあった祖父母の家には、祖父が事業をしていた関係で、その頃一般家庭には珍しかった電話があった。当時鎌倉のある寺の住職だった件の和尚は、それに目をつけ、よく通ってきたという。逢い引きの待ち合わせ場所にするためだ。
相手は海軍軍人の妻だったそうだ(鎌倉には海軍関係者が多く住んでいた)。一人だけだったのか複数いたのか、未亡人だったのか亭主の留守に浮気をしていたのか、今となってはわからない。私はとりあえず面白いほうに想像している。
そんな様子を苦々しく思っていたのが、祖母だった。実家が士族というのが自慢の気位が高い人で、男女関係がだらしないようなことが許せない潔癖症だったから、和尚のことを「エロ坊主」と呼んで、たいそう嫌っていた。そして、坊主憎けりゃ袈裟までを地で行く話で、和尚にまつわるもの一切を身辺に寄せつけなかった。わが家に和尚の書がありそうでないのは、そういうわけなのだった。
(2014年1月・片岡 夏実)
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