霜月の夜

 まだ私が生まれる前の話。その日私の両親は、新橋での仕事を終え、たまたまいつもより一本早い横須賀線で帰路についた。早く鎌倉に着いたので、小町通の入り口にある行きつけのおでん屋に入った。
 土曜日だった。いつもなら駅に電車が到着するたびに新たな客で賑わうのに、この日は客足が鈍かった。「これじゃあ商売にならないね」女将は暖簾を仕舞って、一緒に呑みだした。
 翌早朝、電報で眠りが破られた。父の弟から、安否を問うものだった。何があったのか? 前の晩、両親が乗った一本あとの、つまりいつも乗る列車が、鶴見駅近くで死者161人を出す大事故に巻き込まれていた。犠牲者が集中した車両は鎌倉駅で階段近くに停まるので、鎌倉在住者が多く乗っていた。事故の後、鎌倉の花屋という花屋から、花が消えたという。
 私の両親が前の列車に乗ったのは、いつもの列車の階段に近い車両に乗らなかったのは、まったくの偶然だ。自分がここにいて、よしなしごとを綴っているのは、それを含め大小無数の偶然の積み重ねなのだ。そう考えると、日常とは実は、紙の縁でかろうじてバランスを保っているもののような気がしてくる。
 今年の11月9日は、鶴見事故からちょうど50年目で、同じ土曜日にあたる。

(2013年11月・片岡 夏実)


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