谷間の小さな池

 北鎌倉の西側の尾根を越えた谷に、矢戸の池という池がある。私がここを初めて訪れたのは、高校二年から三年になる春先だった。目的があったわけではない。ただ見たかっただけだ。
 子どもの頃から自然な淡水に何となくあこがれがある。鎌倉にはあまりないものだからだ。私が小学生の頃、滑川はすでにコンクリートで護岸された殺風景な水路で、水質もいいとは言えなかった(最近はよくなったようだ)。鎌倉湖というものもあるが、元々は散在ガ池という灌漑用水池だ。おそらく開発業者が、周辺の土地を売る都合で「湖」と呼んだのだと思う。
 矢戸の池までの谷すじには、一応道がついているが、篠竹が覆い被さり、ところにどころトンネルを作っている。その下を時にかがみ込むようにして歩いた。池は曇り空の下、薄暗い木々の陰にとろんと寝ぼけたような水面を見せていた。魚か何かいないだろうかと、うす濁った水に目を凝らした。まだ春浅いためか動くものはない。だが、手前の浅瀬をよく見ると、透明の太いひもがのたくっていた。中には黒く丸い粒がある。ヒキガエルの卵だ。
 来てみれば何ということもない、平凡な溜め池だった。でもそこに生き物の気配を見たことで、私は十分に満足して、早春の夕方を家路についた。

(2013年4月・片岡 夏実)


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