崖下のプール

 小中学生の頃、夏休みの前に市営プールの無料入場券が配られた。今でもそうだと思う。これさえあれば夏じゅう好きなだけプールを利用できる。
 休みに入ると足しげく通い、大いに楽しんだが、泳ぎはあまりうまくならなかった。頑張れば何とか五〇メートル泳げる程度で、ゴールに着くと息も絶え絶えにプールサイドにへたり込んでしまう有様だった。
 閉場時間が近づく頃、日は西側の切り立った崖の向こうに傾く。にぎやかな昼のセミの声は細くなり、ヒグラシの声が響く。山影が水面に落ちて、少し肌寒くなる。そんな時刻に、人もまばらになったプールにぷかりと浮かんでいるほうが、がむしゃらに泳ぐよりも性に合っていた。浮力を最低限保つだけ手足を動かしながら、荒れた岩壁や崖上の林から漏れる残照をぼんやり眺める。時々、頭を反らして耳まで水に浸り、すべての音が遠のいた奇妙な感覚を楽んだ。水泳が上達しないわけだ。
 中学を卒業すると、プールからすっかり足が遠のいた。入場料を払って泳ぎたいほど水泳が好きなわけではない。海には八月半ばになるとクラゲが出るので、気持ちよく泳げる期間は短い。毎年機会を逃しているうちに、いつしか行かなくなった。どちらも家から歩いてものの十数分なのに。

(2011年8月・片岡 夏実)


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