(やと)のお寺の鐘が鳴る

 一年で一番日が短い晩秋から初冬、山に囲まれた鎌倉では特に暗くなるのが早い。入りくんだ谷の奥はなおさらだ。それでも子どもの頃は、日が落ちて友達の顔が見えなくなってきたことにも気づかず、夢中になって遊んだ。腕時計を持っている子などほとんどいなかったし、持っていたところで見やしない。帰る時刻を知らせるのは、いつもお寺の鐘だった。どこの親もたいてい「鐘が鳴ったら帰っといで」と言っていた。
 鐘の音は山から山へ反響して、どこから聞こえてくるのか、一カ所なのか何カ所かで鳴っているのかよくわからない。その寂しげな響きは、遊び足りない名残惜しさと、家路を急ぎたい気ぜわしさがないまぜになった切ない気分をかき立て、胸の奥がむずむずとした。
 みんなと別れて一人の帰り道、さっきまで夕日を受けて黄色く輝いていた木々が、灰色のシルエットになっている。山が黒い塊となって迫ってくる。灯り始めた街燈が、かえって暗さを引き立たせ、心細さに自然と足早になる。大通りに出ると、まだかすかに日の光が残っていることにほっとする。顔を巡らすとほの白い西から濃紺の東まで、空はグラデーションをなしている。風が冷たくなってきた。

(2009年11月・片岡 夏実)


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