鹿がいた場所

 小学校へ上がる前、鎌倉宮の鹿を見に行くのが楽しみだった。神鹿(しんろく)として飼われていたのだろうが、子どもにはそんなことはわからない。ただ大きな動物がいて、自分の手からお菓子を食べるのが面白かった。その後ビニールを胃に詰まらせた鹿が死ぬという事故があったため、持ち込んだ食物を与えることは禁止され、野菜を切ったものが売られるようになったが、神社で飼っている鹿の餌をなぜ神社にお金を払って買うのかよくわからなかった。でもそれを言えば八幡宮の鳩の豆だって同じだ。
 小学生になると、鹿への興味をほとんど失ってしまい、鹿がいることさえ意識しなくなっていった。 幼児の目には大きく映った鹿だが、実はさして大きくも珍しくもない。いや、もしかすると、あえて意識の外に追い出していたのかもしれない。狭いスペースを所在なくうろうろするだけの鹿の姿は、今思えば楽しいものではなく、むしろ痛々しかったから。
 そして鹿は知らぬ間にいなくなっていた。一九九〇年前後のことらしい。天寿を全うしたのだと思いたい。かつて鹿がいた空間、鳥居の右脇の石垣と土手に囲まれた何もない一角を見ると、少し寂しいけれど何となくほっとする。

(2009年10月・片岡 夏実)


©copyright "かえると散歩" all rights reserved
webmaster@super-frog.tv